学部生のころ、建築を自由に考えることが苦手というかその意味が分からずずっと悩み続けていたように思う。多分、自分の中のイメージとして竹山先生が自由の象徴としてのイメージがあり、自分自身とのギャップを位置づけることができていなかったのだろう。卒業設計を終えて院生になり、社会に出る中でいつかははっきり覚えていないが、自由は単独で存在するのではなく常に不自由と表裏一体で同時に存在するんだと気づいた時に、気が楽になり腑に落ちた。