40歳代になって、当時の集大成のつもりでやった「塩野義製薬医薬研究センター」、できた次の年の正月に先生の家に伺ったとき「なんかシオノギのやつ、できてたね」と言われ、 ようやくここまできたかと思えました。そして先生の還暦パーティーで、みんなから「大工道具館見たで」と声をかけられ、なんとんなく継続的にものができている実感が持てました。でも同時にプロジェクトはチームで進めることが増えていき、一人でやっているのではないと、はたと気付いた時に、今が見えた気がしました。小幡剛也