バブル期の大学で建築を学ぶ中、特に大きな刺激を感じないまま、建築がファッションやスタイルのように消費されていく感じがして、今一つのめり込めないと思っていた大学院1年の終わり、建築雑誌で食い入るようにその作品を見ていた竹山先生が京都大学に降臨しました。―救世主が目の前に現れたようでした。リアルに建築家と接しているという初めての感覚と、話を聞いていると自分でも自由に言葉と現象の間を行き来できるような気がして、何かが芽吹いたと感じました。小幡剛也