芽吹きの決定的な一瞬を一つだけに決める事はむずかしいものではなかろうか。私自身いくつかの、いや、いくつもの(一つ一つは私なりに決定的な)体験が自分を建築の道へと導いてきたように思うのだけれど。とはいえあえて一つあげるなら、その中の一つは中学一年生だったか、東大寺での体験。南大門をくぐった時に感じた何とも表現しがたい感興の記憶は、「人の気持ちを動かすメディアとしての建築の力」への信頼感を今もって支えてくれている。